美容師になってよかった①

今いろいろなことに自粛を求められています。
作品創りも例に漏れず自粛しています。

美容師の「お家時間」の一つで
インスタのデザインで繋がるリレーがあります。
僕にも回ってきて、次にバトンを渡すと
上の画像でゴールになりましたHANA
(ゴールにしてくれた美容師さんは
一見怖そうですが中身はイケメンの
愛知のT屋さんです。キーワード検索すると
上がってくるかと思います)

僕は高校卒業してすぐ美容室に
就職しています。
美容師という仕事がどういうものか
分からずに選んだのだと後から気づきました。
(かっこいい仕事。昼は髪を切り、夜はクラブ。。
それくらいの認識だったような気がします)

同期は10数人、
ほとんどが僕と同じ高卒です。

入社日前に、沖縄から飛行機で大阪に
入り、その日の夕方から
声出しの練習をしました。
応援団のようです。

寮に一緒についてくれた先輩は、黒の上着と
(中学校の時、喧嘩の好きな人たちが履いていたのを見た以来)
の裾が大きいズボンに身を包み。
(沖縄には当時y’sのショップがなく、
それだとは後ほど知ります)
僕の美容師としての方向を
示してくたすごくいい先輩でした。

沖縄から大都会大阪へ、
天下だった高校三年生から
何もできない見習いへの転職。
当時は◯料◯坊と言われるのも当たり前
その環境のギャップは
『ここ大丈夫か?』
そう思うことにも
ならないほどセンセーショナルでした。

「美容師という職業を選んでよかった」

という風にはここではならないですねHANA

入社してからは、朝から営業に入り
営業後は毎日練習です。
1日も早く仕事を覚えるように
一生懸命指導してくれました。
先輩方がご自身の時間を
使ってくれて。
(シャンプーの練習と試験は
初めての技術であり
また、直接「触れる」ということもあり
難しかったのを覚えています。)

そういう日が続き、少しづつできることも
増えていきます。

ですが、いつの間にか一人やめ
二人いなくなり。。
秋になる頃には同期は3人になっていました。

美容室に入社したのは23年前。
美容室の教育方法も旧態然、
というか
過渡期だったと思います。
今だったらハラハラすることも
当たり前。

僕らの世代は
「新人類」
その過渡期の波はまだ
キツかったようです。

というと、
「わしの頃はなー〇〇(どうだ!)」
みたいな話をしたいわけではなく。

僕が辞めずに美容師を続けられて、

今、やりがいを持って働けて
「美容師という職業を選んでよかった」
と思えるのは

なんでだろう。
と振り返って考えてみました。

僕は
「賢くなかったから」

長くなったので
『つづく』